ソシュール

ソシュール関連

加賀野井秀一『知の教科書 ソシュール』(講談社選書メチエ)

p.88

体系が辞項を存在させている−−価値

それぞれの辞項、それぞれの語は、それが属している言語システムのなかでとり結ぶ他の諸辞項との関係によって、はじめて価値をもつのであり、他の諸辞項とはちがうものとしてそこに存在し、意味をもつようになる。つまり、言語体系における辞項は、その辞項を含む体系を離れては考察することもできず、体系によってのみ、他の諸辞項によってのみ存在するのである。ソシュールは、「関係性」が「実体性」に先立つこのような辞項のあり方を、「示唆的(デイフエランシエル)」「対立的(オプジテイフ)」「関係的(ルラテイフ)」「虚定的(ネガテイフ)」といった一連の言いまわしで表現しようとしている。ようするに、言語体系は、実体的な要素の寄せ集めであるポジティブな体系とはちがって、個々の要素はそれ自体ではなんらの実体性をももたず、関係性のなかではじめて存在するようなネガティブな体系なのである。

p.92

シニフィアン:音 son /意味するもの、聞こえ /記号表現

シニフィエ:思考 idée  /意味されるもの、想念 /記号内容

p.96

私たちの日常的な言語観の背後には、かなり素朴な実在論が横たわっているのである。(中略) 言語は、その対象にレッテルとして貼りつけられるだけなのだ。

ソシュールは、世に蔓延していた先入観に対し、きっぱりとそれを否定する。

あらかじめ確定された諸概念などというものはなく、言語があらわれないうちは、何一つ分明なものはない。   (『講義』161/155)

シニフィアンを「ことば」、シニフィエを「もの」と見なすような解釈は、「あらかじめ確定された諸観念」を前提とすることによって、ソシュールの基本的な態度に抵触してしまうのである。

p.106

ソシュールは、このカップリングによって結合されるシニフィアンとシニフィエとの絆を形容して「恣意的」であるという。これは、「聞こえ」と「概念」との絆のことである、「ことば」と「もの」との関係ではない。ここが重要な点なのだ。シニフィアンとシニフィエとの絆は、あくまでもシーニュ内部のものであり、ラング内部の事実である。まずはこの言語内部での絆が生じることによって、ようやく二次的に世界が切り取られる。これをまちがってはなるまい。

p.144 メルロ=ポンティ

1947年以来、ソシュール言語学を読み込んでいたメルロ=ポンティは、やがて51年には国際現象学会で「言語の現象学について」という講演を行ない、翌52年の論文「間接的言語と沈黙の声」では、次のように書き出すことになる。

われわれがソシュールから学んだのは、記号というものが、ひとつずつでは何ごとも意味せず、それらはいずれも、ある意味を表現するというよりも、その記号自体と、他の記号とのあいだの、意味のへだたりを示しているということである。これら他の記号についても同じことが言えるのだから、言語は、辞項をもたぬさまざまな差異によってできているわけだ。もっと正確に言えば、言語における辞項とは、辞項間にあらわれる差異によってのみ生み出されるのである。

p.150 フーコー

おのおのの時代はおのおのの観念のシステムをもち、人々はそれに応じて見たり考えたりすることを余儀なくされている、とフーコーは考え、こうした文化圏や時代がつくり上げる独自の認識構造を「エピステーメー」と名づけることにした。

彼によれば、西洋史では、17世紀と19世紀との初頭に、二度の大きなエピステーメーの転換が生じており、その前後には、それぞれ「相似」「表象」「人間」の観念によって主導される三つの時期があるという。

p.157 ラカン

つまり幼児は、鏡像段階によって自他未分化のなかに自我というものを引きいれ、それによって当初の自分を疎外しながら自分自身になってゆく。自己像への同一化は自分と自己像との差異を含み、当然ながらにそこに他者像が並ぶ余地を生じさせることによって、他者との関係をも含むことになるはずだ。そんなふうにして、鏡像段階を経た幼児は、自己像に向ける自分のまなざしのなかに他者のまなざしを含みこみ、今度は、自分に向けられた他者のまなざしへの同一化のなかで自分の姿を見ながら、自我の形成へと向かうことになる。

だとすれば鏡像段階というものは、他者からのさまざまな働きかけをとおして他者から自己へと一種の歴史の粗描がもたらされ、以後、個々人のとらえどころのなかった無意識のうちに、過去と未来とが刻みこまれていくような構造契機でもあるだろう。そんなわけでラカンは、鏡像段階からはじまる幼児の自己形成過程を、無意識の組織化ととらえているのである。

p.164 ヤコブソン

ヤコブソンの研究は、ソシュールの「連辞関係」と「連合関係」という二分類が有効であることを再認識させてくれるとともに、ひいてはこの二つの関係を操作する人間精神の基本的なメカニズムを明らかにし、患者ばかりではなく、作家や詩人たちの行う高度な言語操作についてさえ、いっそうよく理解できるようにしてくれた。

連辞関係:「ソシュール」「は」「言語学者」「だ」などのはっきり表示された言語要素が互いにむすぶ関係

連合関係:「ソシュール」は「ヤコブソン」に置き換えられるし、「言語学者」は「男」に置き換えられる。このような、潜在しているこれらすべての置き換え可能な連想語の関係

p.174 ルイス・J・プリエート、エリク・ビュイサンス、ジョルジュ・ムーナン

「コミュニケーションの記号論」:信号(シグナル)というものを中心にして、手堅い伝達の研究をする。信号や交通標識などの狭い範囲に終始していてちっとも面白くない

p.178

ソシュールからバルトへの線は、こうしてさまざまな方向に延長され、私たちの身近な事物にも応用されながら、やがては、錯綜した現代の諸問題をみごとに整序してくれるにちがいない。ソシュールが開始した言語のモデルは、今や、言語学の領域をはるかに超えて、あらゆる人間活動のモデルとなっているのである。

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